奄美ICTの前田守のブログです。「奄美でもできる。奄美だからこそできる道がある。」と信じています。
by DrMaeda2005
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過去を力に、現在を守り、未来を進む
 2008年1月3日。

 年末年始にかけて続いた、この冬一番の冷え込みも収まり、奄美大島は夏のような日差しとともに暖かい日を迎えていた。日差しの強さもあり、私が生まれた辺留の海は、エメラルドグリーンに輝いていた。懐かしい海の色だった。

 4年ぶりに弟夫婦が帰省してきた。いつの間にか3人の父になっていた。
 私が社会人になってから弟と会うのは、これが4度目だ。私の結婚式、弟の結婚式、祖父の葬式、このお正月。冠婚葬祭以外で会う機会はこれが初めてだ。有難いことに呉の美味しい清酒を土産に持ってきてくれた。

 弟は1ヶ月ほど前に起業したばかりだ。
 帰省中の短い会話のなかでは、詳しく聞けるものでもない。だが、弟にも葛藤があったろうことは理解できた。

 「人生は思い描いたとおりになる。心の制約を解き放ちなさい」

 私はこのようなことを伝えた。


 幼い頃、内気な私とは異なり、弟はやんちゃだった。弟は、大きな怪我も何度かしたけれども、たくましく育った。そしていままた、たくましく生きるための試練を経験している。


 昭和50年代前半。
 奄美大島では舗装されていない道路が多かった。私が生まれた辺留集落まで、名瀬から車で1時間30分。祖父母に会いに行く際のデコボコ道は、弟を車酔いさせるのに充分だった。車中、苦しい想いをして祖父母に会いに行ったものだ。大島紬が活況を呈していたとはいえ、まだシマは貧しかった。

 幼い頃、私たちはまるで子犬のようにじゃれあっていた。エメラルドグリーンに輝く辺留の海に、釣り糸を垂らし、日がな魚釣りに興じていた。ほかに子どもたちができる遊びはなかった。今とは違い、テレビゲームなどなかった。

 かれこれ25年も前。いまから四半世紀前。ポカリスウェットが世に出始めた頃。いつも弟と一緒にいた。夏の盛りには野球に興じ、秋の声を聞き始めた頃には運動会に励み、お正月は祖父母と暮らし、いつも幸せだった。

 あと何度、弟と酒を酌み交わせるのか。
 そう思うと一抹の寂しさのような感情が沸いてくる。だが、彼も精一杯、僕も精一杯、生きている。新しい家族を得て、新しい生命を育み、みずからの生きる意味を掴もうとしている。

 1月3日。
 祖父の眠る墓へ、弟夫婦と私の家族で出かけた。いつも私たちを見守ってくれた祖父の墓の前に立ったとき、また一つ、貴重な想い出ができた。こうして、みなが生きていくとすれば、何を恐れようか。何を迷おうか。

 兄弟二人で、一日、魚釣りに興じることは、もう二度とはできないとしても、その想い出はいつまでも私たちの記憶の中で生き続けている。

 これからの人生、思う存分、力を発揮してみようではないか。
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by drmaeda2005 | 2008-01-05 13:01 | 人材育成研修
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