奄美ICTの前田守のブログです。「奄美でもできる。奄美だからこそできる道がある。」と信じています。
by DrMaeda2005
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喜びと悲しみ。。。生き抜く力
 12月6日。
 私にとって人生最大の大勝負の日だった。支持を取り付けた。

 吹けば飛ぶような中小零細企業の経営者にとって「社運を賭けた」挑戦は、最適な(そして、ほとんどの場合、ギリギリの)タイミングで行われるようだ。半年におよぶ下準備。いまは「ほっ」としている。ただ、「ほっ」としている。

 首都圏へ技術者を派遣できる体制が整い、いよいよ明日(12月7日)、1名出発する。まるで「宇宙戦艦ヤマト」を見送るような気持ちだ。彼の努力によって、このシマで継続的にシステム開発できる基盤ができるとすれば、じつに素晴らしいことだ。

 雇用の場の少ない、このシマで新たな仕事ができること。機会を頂いたN社Y社長のご期待にお応えできるよう、結果を出していこう。


 盟友というべき友人が健康問題のため、職を去ることになった。正直、ショックだった。彼もまた、このシマで起業家を支援してきた人物だ。

 私自身、彼には相当に応援して頂いた。
 経営者として、心がつらいとき・誰かに相談したいとき、彼ほど親身に相談に乗ってくれた方はいない。彼への最大の恩返しは、弊社が一人前の企業・当たり前の企業となることだ。道は険しいが、かならず、そうなる。企業としての成長・人としての成長を通して、このシマでもできるということを実証していく。

 意欲的なビジネスマンが、しばらくシマを離れることになる。塞翁が馬。バイタリティあふれる彼のことだから、大きく成長することだろう。彼の成長を心から祈りたい。



 生き抜く力。
 物事に一喜一憂せず、生き抜く力が欲しいと願い、ややもすれば、よこしまな想いに心とらわれてきた。でも、このシマで生き抜く力が欲しいのだ。

 このシマで生きてゆきたい。この想いこそが、私の、そして、このシマで暮らしている、ほとんどの人たちの想いだろう。心ならずもシマを離れることがあっても、いつかは帰る・帰れるものだ。「帰る」ことを願っていればこそ、帰れるものだ。
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by Drmaeda2005 | 2010-12-06 18:48 | 私(前田)のこと
生まれたばかりの、小さな会社

 7月1日。
 私たちの会社「奄美ICT株式会社」が、この世に生まれた。生まれたばかりの、小さな会社で働くスタッフは、私(前田守)と山田卓矢さんの2人。右も左も分からないところから、手探りで会社を整えている。7月15日には将来のために就業規則も整えた。そして、禧久明子さんが入社してくださった。

 8月に入っても、この小さな会社を「一人前の会社」にするために、もがいている。

 7月下旬から始めた「奄振延長のための政策提言勉強会」は佳境を迎えている。あとは奄美市の優秀な職員のみなさんが、政策提言のとりまとめを行うばかりとなった。8月19日は大臣官房審議官の門野秀行さん一行の聞取調査に協力した。8月26日には今年度の「奄美ミュージアム推進会議」が開かれる。3ヵ年、委員を務めるこの会議も、今年が最後の年となる。

 8月14日。
 経済産業省の「地域商社的機能の検証」事業に、奄美ICT株式会社が選ばれた。この事業は、日本の地方が抱える課題のうち、もっとも切実なもの。すなわち、地方の魅力ある産品を、適正価格で流通にのせるための検証事業だ。応募も全国で99社と、地方の意欲ある企業が多数応募している。そのなかで、私たち奄美ICT株式会社のような、設立後1ヶ月足らずの会社が選ばれたことは異例だと思う。

 8月20日
 (財)日本視聴覚教育協会主催の「平成20年度 全国自作視聴覚教材コンクール」で私が監督を務めた郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」が審査委員会特別賞を受賞した。9月19日の表彰式を待たないと論評は分からないが、とにかく、本作品は「群を抜く質の高さ」が評価されたとお聞きした。たくさんの人々の想いで出来た作品だけに、全国的に評価されたことがとても嬉しい。奄美新聞のO記者さん、南海日日新聞のH記者さんがさっそく取材してくださった。「奄美でもできる」というメッセージが、シマの人にも、内地の人にも、伝わるのではないだろうか。龍郷町では受賞記念の上映会も実施されるそうだ。

 8月21日。
 奄美王国と日本郵政のタイアップ「クリスマス企画」の商品開発に励んだ。前川水産の前川さんと貝細工のパッケージを話し合った。

 8月22日。
 家内と結婚して9回目の記念日。この日が経済産業省へ提出する書類の締切日。補足資料とあわせて20の書類を間に合わせた。この1ヶ月の間に、家内は交通事故に遭い、むち打ち症のリハビリをしながら仕事を続けている。奄美ICTが出来て2ヶ月。家内は16年続けた児童指導員の職を辞し、しばらく育児に励むこととなる。まだ先は分からないが、いつかは、一緒に働くことになるかもしれない。


 36歳。
 私と山田卓矢さんは小学・中学と同級生だった。そんな2人で立ち上げた会社だ。霞ヶ関の職員さんに電話をする時は、とても緊張する。でも、地域商社的機能の実証は、夢のあるチャレンジだ。山田卓矢さんはこれから半年の間に東京で40泊以上の出張を経験する。都合10回の上京だ。そこで得られる知識・技術・ノウハウを、奄美の地域生産者のみなさんにフィードバックしていく事になる。関係機関と島内の研修、生産者のみなさんへの密接な訪問は私が担当し、禧久さんが私たちをサポートする体制で、この事業に臨む。

 事業の展開を鑑みると、今秋には新たな人材を雇用することになるだろう。働く場が多くはない奄美大島で、たとえ規模は小さくても、雇用の機会を提供できるのは企業にとっての責任であり、喜びでもある。

 生まれたばかりの小さな会社。
 いま、大企業と呼ばれる企業も元をただせば、名も無いところからスタートしているのだ。私たちもかならず「一人前の企業」となって最適な規模で事業を展開していく。

 旺盛な資金需要と、新たな雇用を生み出す起業は、地域の活性化には必要不可欠なものだ。いま、私たち「奄美ICT」は、規模は小さなものの、この奄美の地で、しっかりと生きようと、もがいているところだ。


・全国自作視聴覚教材コンクール受賞作品(前田守監督作品)
 郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」
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by drmaeda2005 | 2008-08-23 11:54 | 私(前田)のこと
DVD頒布決定!郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」

 平成20年3月22日。
 息子の誕生日に、僕は郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」の事業報告書を書いていた。翌日には奄美ミュージアム推進会議の関係で徳之島へ出張が決まっていたので、3月22日中に書き上げなければならなかった。


 「愛加那~浜昼顔のごとく」は、とくに1月下旬からの追い込み作業で、どんどんとカタチになっていった。土壇場でシーン構成を変更する事も多々あり、何より、不足する映像をどう補うかがポイントだった。


 「このままじゃあ、20分の作品しかできない」
 そんな泣き言は、もううんざりだった。


 シナリオを掘り起こしていくこと。言葉の狭間に埋もれていった想いを蘇らせること。そして、家族・親子のメタファー(暗喩)を随所に盛り込むこと。


 予算の制約に対抗するのは、いつも創意工夫だ。
 デスペラードの前身となった「エルマリアッチ」は製作費7000ドルにも関わらず、作品の完成度から高く評価されることになった。


 私たちが、少なくとも私が、この作品に取り組んだのは歴史上の人物を描けるからではない。私は、この作品の根底にあるテーマに惹かれたのだ。


 150年ほど前、この奄美の島々で織りなされた人間模様。

 それは、いまでも、この島々の至るところで溢れている。西郷隆盛だから、西郷菊次郎だから、愛加那だから、ではない。150年経ったいまでも、私たち・シマで暮らす人のほとんどが経験する宿命が根底にあり、そこから成長する人々がいると思えてならないのだ。

 このテーマこそが、シマッチュ(島人)の心を打ち、時に涙を誘い、時に、たくましく生きる姿に強く励まされるのではないだろうか。



 不足する映像を補うエピソードを探していた。
 大西郷全集に目を通していた。

 そこには、人として成長していく西郷隆盛の赤裸々な言葉があった。苦悩し、自暴自棄になり、そして、家族を想う男がいた。

 「子ども達が思い出されてならない。」

 死と向かい合った人間が、試練を正面から受け止め、耐えながらも「子ども達が思い出されてならない」と手紙を送る。

 西郷隆盛全集には、母への想い溢れる西郷菊次郎の書簡が納められている。

 「このお手紙でお母さんの心を慰めたいのです。」


 私は涙が止まらなかった。
 150年前と、いま。


 いったい、人の「想い」とは変わるものだろうか。


 ――――――――――――
 髪は断ち切ることができても、
 心は断ち切れまい。
 ――――――――――――
 代表的日本人で紹介されている西郷さんの詩だ。



 郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」が、待望のDVDとなりました。島外にお住まいの奄美出身者をはじめ、本作品を視聴したいというご要望に、やっとお応えできます。

 「愛加那~浜昼顔のごとく」DVDをご希望の方は、下記のページをご覧ください。


 郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」DVD頒布のお知らせ



 ※DVD初版1000枚のみ、頒布予定です。
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by drmaeda2005 | 2008-08-12 11:58 | 私(前田)のこと
防人の詩


 忘れられない詩。

 僕が物心ついて、祖父に叱られた経験は2度しかない。ひとつは農作業中に祖父に甘えたとき。すごい剣幕で怒られた。僕はただ悲しかった。もうひとつが、この「防人の詩」だ。

 仲代達矢演じる「乃木希典」。
 丹波哲郎演じる「児玉源太郎」。
 三船敏郎演じる「明治天皇」。

 映画「二百三高地」。

 この映画の主題歌が、さだまさしの「防人の詩」だった。


 太平洋戦争で出征した人々の胸の奥に秘められたものが何かは、私には分からない。けれども、祖父が、生涯、戦争の話をしなかったことから伝わってくる想いがある。

 今にして想えば、祖父にとって「防人の詩」は琴線に触れるものだったろう。そしてまた、この詩を幼いながらに歌っていた僕にとって、祖父を思い出すとき、この詩が思い出されて仕方ないのだ。

 祖父を亡くし、私も2児の父となった。
 だが、二百三高地をみると、今でも泣けて仕方ないのだ。

――――――――――――――――――――
 わずかな生命のきらめきを信じていいですか
 言葉で見えない望みといったものを

 去る人があれば 来る人もあって
 欠けてゆく月も やがて満ちて来る
 なりわいの中で
――――――――――――――――――――


 生まれたばかりの、小さな会社。
 従業員は僕も含めて2名。

 まだ、看板もできていない会社。2ヶ月、売上がなければ電話帳から名前が消えてしまう会社。そんな会社なのに、とびっきりの人材が働いてくださることになった。意欲と能力を持つ彼女を紹介してくださったのは、Aさん。

――――――――――――――――――――
 去る人があれば 来る人もあって
――――――――――――――――――――

 7月1日。
 奄美ICT株式会社がこの世に生まれた。今月いっぱいは手続きで追われるが、短期間ながら、身の丈にあった、優秀な人材を揃えることができた。

 充分な社会経験と豊富な職歴。なにより、人として油がのった年頃の人たちで固めることができた。男女を問わず、それぞれが部門リーダーとして活躍したキャリアがある。みずからの手で、仕事を、人生を掴みとってきった人たちだ。

 人生は思い描いたとおりになる。

 きっと、この産みの苦しみを乗り越え、わが社は成長する。

 第一に、利益を出し、
 第二に、仕事を通して、働く人を活かし、
 第三に、みずからの問題を処理すると共に、社会に貢献する。


 もう悪夢は消え去り、夢から目が醒めた。

 これからは思う存分、戦う限りだ。
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by drmaeda2005 | 2008-07-12 20:11 | 私(前田)のこと
奄美ICT株式会社の設立前後

 6月26日。
 関係する金融機関のみなさんのご尽力によって、資金調達に成功した。奄美地域の経済の実情を考えた場合、奄美群島振興開発基金さんは起業家には必須の機関だ。奇しくも、同じ日、前もって予定していた新会社の定款認証も、滞りなく完了した。私が自ら作った定款は、修正なしで認証された。

 7月1日。
 日取りを選んで、法務局で株式会社の設立登記申請を行った。その足で、祖父の眠る、笠利の辺留へ墓参りに向かった。

 7月2日。
 午前中から、法務局で設立登記申請の修正を行う事になったが、担当の方が親切に教えて頂いたので、無事、設立登記が完了した。さかのぼって、7月1日が、奄美ICT株式会社の設立日となった。生まれたばかりの会社は、私も含め、2名で切り盛りすることになった。


 7月3日。
 会議用のスーツと制服を私と山田さんの分、用意した。おおはしゃぎする山田さんを見ていると、制服とスーツを支給して良かったと思った。紳士服の青山から、帰社する前に体調が急変したので、そのまま自宅へ戻った。39度以上の高熱が朝まで続いた。

 7月4日。
 午前中は病院で診察してもらった。痛む体を押して出社。いくつか作業の指示を出して、ソファで仮眠。なんとか起業家・経営者応援塾のテキストを仕上げて龍郷町に向かう。3時間の研修は、なんとかこなした。帰路、車中で半死状態の私をみて、山田さんも感じるものがあったようだ。

 7月5日。
 次男坊の真英が入院。私自身もまだ38度台の熱。山田さんへ奄美ICTから、はじめてのお給料をお渡しできた。

 7月6日。
 社労士の前田幸俊先生のもとへ、就業規則の作成依頼等で相談に行った。

 7月7日。
 次男坊が退院できた。ご家族の事情があり、一緒に働いてくれた中島さんが退職することになった。育児が一段落する2年後、ふたたび一緒に働けることを信じていたい。

 7月8日。
 商工会議所さんから販促の相談。奄美王国参加企業を2社推薦した。駒澤大学の学生さんたちが島バナナをはじめとした亜熱帯農業の歴史や展望等の調査にご協力した。


 奄美ICT株式会社の詳細は、後日、お話します。

 奄美地域でスピンオフによる起業形態は、ほぼ皆無でしょう。奄美ICTの経営資本は、私が一手に引き受けており、アットマークやっちゃばの子会社・関連会社ではありません。もちろん、これからもお互いに連携して、それぞれが成長していけるように、全力を尽くします。

 「 野菜馬 」 → 「 アットマークやっちゃば 」 → 「 アットマークやっちゃば 並びに 奄美ICT 」のような企業の成長と変遷があることは、奄美における一つの事例となるでしょう。また、そうなるべく、これからも邁進していきます。
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by drmaeda2005 | 2008-07-08 21:53 | 私(前田)のこと
経験者はかく語りき。
 magunamu2005さんが刺激的な投稿をしてくださいましたので、私もすこし。

 中小企業にとって運転資金は生命線です。民間金融機関のプロパー融資はてっとりばやいのですが、利用するためには実績が何よりものを言うようです。また、5年程度は成長が見込める事業のほうが、借りやすいでしょうね。

 で、民間の金融機関よりも(奄美の場合、多少時間がかかっても)政府系金融機関は一度は利用しておいたほうが良いでしょう。国金さんと商工会議所さんのマル経で危機を免れた事業者も多いですし、第一次産業(農業)で融資を受けようとするなら、奄美群島振興開発基金さんは、はずせないでしょう。


 ちなみに@やっちやばの2階の増築工事は、多少の手元資金+民間金融機関のプロパー融資で、資金調達しました。

 民間金融機関さんはかなり応援してくださっています。というのも、当社は鹿児島県から「経営革新計画の承認」をいただいているからです。

 経営革新計画の承認を受けたから融資されたのではなくて、正確には、中小企業経営革新計画の承認を受けるために、当社がすべての書類・資料を作成し、さまざまな状況を予測した上で、鹿児島県にも、政府系金融機関にも、民間金融機関にも、きちんと、私の言葉で説明できたからだと認識しています。

 実際のところ、ここ数年は、奄美地域の金融機関は大きなリスクはとれない仕組みになっています。当社も事業構想の時点で金融機関に相談に行っても、門前払いだったことでしょう。金融機関まわりはストレスが溜まるものです。一行目は反発。二行目は歯がゆさ。三行目は絶望。無駄な金融機関まわりは、心が萎縮するだけです。


 経営革新計画は、良くできた制度ですよ。
 事業計画を外部の専門家に「丸投げ」する経営者さんが多いようですが、自分の事業プランを他人に「丸投げ」しては、いったい、何のための経営でしょうか。

 私は経営の目的は「いかにして存続なさしめるか」だと考えています。事業には働く人の夢があり、想いがあります。スタッフは生活の資のためだけに働く時代ではありません。スタッフの想いを実現させる企業・そうでない企業。どちらが愛されるでしょうか。


 経営革新計画を、自分の言葉で仕上げてみる事。
 役に立たないシミュレーションと呼ばれても構いません。しかし、きちっと100ページ以上の資料を、ご自分で作成すれば、事業の課題は絶対に浮かび上がってきます。その課題を埋めていくのも良し、課題の解決を後にして強みを活かしても良し。

 この事業計画を練るためには、絶対に必要なことがあります。内部と外部の(自分なりの)分析です。競合相手を答えられない事業計画は意味がありません。もちろん、天才的なイノベーション能力を持つ方もいるでしょう。市場を創造できる天才です。しかし、ほとんどの場合、事業は「既存の事業に、ほんのすこしの工夫・変わった切り口」で開けるものです。

 カイゼン(改善)は世界の言葉です。華やかな舞台を狙うよりも、カイゼンのほうが失敗しない確率はずっと高いものです。

 真っ向勝負の競争相手もいれば、間接的に競争する相手もいます。狭い島で競争なんてとお思いになるかもしれませんが、そうではありません。私たちが島の中で活発に経済活動をすればするほど、この地域は蘇るのです。競争のない社会(たとえば全体主義など)は、人々の意欲を食べる獏のようなものだとお考え下さい。

 それから、資金計画。これもいやになるほど勉強してください。裏表紙の言葉ですが「ベンチャーの挫折の原因はいつも同じである。第一に、今日のためのキャッシュがない。第二に、事業拡大のための資本がない。第三に、支出や在庫や債権を管理できない。」

 ファインプレーを狙う必要はまったくありません。堅守にかぎります。

 自分の言葉で練りに練った事業計画。
 そして、事業に対して揺らぐことのない信念。

 これで資金調達がうまくいかないときは、事業計画を見つめなおして、再チャレンジです。


 5年で上場する企業もあります。30年かけて上場する企業もあります。

 急激な成長がもたらす苦しみを、少しだけですが、私も経験しました。マネジメント不能に陥った事業は、人の心を病ませ、疑心暗鬼をもたらし、やがて思考が停止します。

 自分の天命を知ったなら、じっくりと「志」という柱に支えられた螺旋階段を、登っていくだけです。「焦らず」「今の生活を考え」「次代を想い」小さく始めた商いを、揺ぎ無い大木に育てて生きたいものです。

 真摯な姿勢で生きていく。
 とても難しいことですが、才覚のない私には、これしかないように思う次第です。

 経験者が語る(^○^)国金融資対策(第1回)
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by DrMaeda2005 | 2006-01-26 14:59 | 私(前田)のこと
パッケージ事業で、感じたこと。
 パッケージ事業の一つ、SOHO起業家支援事業でも、ブログを利用されています。

 shima-hi-toshiさんの記事で、「労務知識管理」というエントリーがありました。

 私がshima-hi-toshiさんの年齢の時は、人生に迷っていたように思います。そして、なにか社会に対峙する自分を感じていました。それは恐れにも似たようなもので、うまく表現できないのですが、孤独というか、むなしさでした。

 あの頃から、かれこれ10年以上が過ぎました。

 数多くの試練があり、時に事業の継続を諦めかけた時もありました。親しい方々と決別した事もありました。教え子の死を経験した事も、最愛の祖父を亡くし、右手を骨折した夜もありました。失うことも多かった一方で、家内と2人の子供、新しい家族を得ました。

 そしていま、この道を邁進しています。

 shima-hi-toshiさんにお伝えできるのは、時代を作るのはいつも「若者の熱」だということ。shima-hi-toshiさんのお兄さんと共に過ごした時間は、私にとってのかけがいのない思い出で、あの頃は随分「熱かった」ように思います。きっと、shima-hi-toshiさんのお父さんやお祖父さんも、若い頃は、熱があったでしょう。

 奄美の地域経済は厳しさを増しています。

 存亡の秋かどうかは分かりませんが、私は出師の表を出しました。shima-hi-toshiさんも思う存分、羽ばたいてください。飛躍する人間の土台はケネディをみれば分かると思います。あなたなら、かならず、出来ます。
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by DrMaeda2005 | 2005-12-03 15:38 | 私(前田)のこと