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奄美ICTの前田守のブログです。「奄美でもできる。奄美だからこそできる道がある。」と信じています。
by DrMaeda2005
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防人の詩


 忘れられない詩。

 僕が物心ついて、祖父に叱られた経験は2度しかない。ひとつは農作業中に祖父に甘えたとき。すごい剣幕で怒られた。僕はただ悲しかった。もうひとつが、この「防人の詩」だ。

 仲代達矢演じる「乃木希典」。
 丹波哲郎演じる「児玉源太郎」。
 三船敏郎演じる「明治天皇」。

 映画「二百三高地」。

 この映画の主題歌が、さだまさしの「防人の詩」だった。


 太平洋戦争で出征した人々の胸の奥に秘められたものが何かは、私には分からない。けれども、祖父が、生涯、戦争の話をしなかったことから伝わってくる想いがある。

 今にして想えば、祖父にとって「防人の詩」は琴線に触れるものだったろう。そしてまた、この詩を幼いながらに歌っていた僕にとって、祖父を思い出すとき、この詩が思い出されて仕方ないのだ。

 祖父を亡くし、私も2児の父となった。
 だが、二百三高地をみると、今でも泣けて仕方ないのだ。

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 わずかな生命のきらめきを信じていいですか
 言葉で見えない望みといったものを

 去る人があれば 来る人もあって
 欠けてゆく月も やがて満ちて来る
 なりわいの中で
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 生まれたばかりの、小さな会社。
 従業員は僕も含めて2名。

 まだ、看板もできていない会社。2ヶ月、売上がなければ電話帳から名前が消えてしまう会社。そんな会社なのに、とびっきりの人材が働いてくださることになった。意欲と能力を持つ彼女を紹介してくださったのは、Aさん。

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 去る人があれば 来る人もあって
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 7月1日。
 奄美ICT株式会社がこの世に生まれた。今月いっぱいは手続きで追われるが、短期間ながら、身の丈にあった、優秀な人材を揃えることができた。

 充分な社会経験と豊富な職歴。なにより、人として油がのった年頃の人たちで固めることができた。男女を問わず、それぞれが部門リーダーとして活躍したキャリアがある。みずからの手で、仕事を、人生を掴みとってきった人たちだ。

 人生は思い描いたとおりになる。

 きっと、この産みの苦しみを乗り越え、わが社は成長する。

 第一に、利益を出し、
 第二に、仕事を通して、働く人を活かし、
 第三に、みずからの問題を処理すると共に、社会に貢献する。


 もう悪夢は消え去り、夢から目が醒めた。

 これからは思う存分、戦う限りだ。
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by drmaeda2005 | 2008-07-12 20:11 | 私(前田)のこと
奄美ICT株式会社の設立前後

 6月26日。
 関係する金融機関のみなさんのご尽力によって、資金調達に成功した。奄美地域の経済の実情を考えた場合、奄美群島振興開発基金さんは起業家には必須の機関だ。奇しくも、同じ日、前もって予定していた新会社の定款認証も、滞りなく完了した。私が自ら作った定款は、修正なしで認証された。

 7月1日。
 日取りを選んで、法務局で株式会社の設立登記申請を行った。その足で、祖父の眠る、笠利の辺留へ墓参りに向かった。

 7月2日。
 午前中から、法務局で設立登記申請の修正を行う事になったが、担当の方が親切に教えて頂いたので、無事、設立登記が完了した。さかのぼって、7月1日が、奄美ICT株式会社の設立日となった。生まれたばかりの会社は、私も含め、2名で切り盛りすることになった。


 7月3日。
 会議用のスーツと制服を私と山田さんの分、用意した。おおはしゃぎする山田さんを見ていると、制服とスーツを支給して良かったと思った。紳士服の青山から、帰社する前に体調が急変したので、そのまま自宅へ戻った。39度以上の高熱が朝まで続いた。

 7月4日。
 午前中は病院で診察してもらった。痛む体を押して出社。いくつか作業の指示を出して、ソファで仮眠。なんとか起業家・経営者応援塾のテキストを仕上げて龍郷町に向かう。3時間の研修は、なんとかこなした。帰路、車中で半死状態の私をみて、山田さんも感じるものがあったようだ。

 7月5日。
 次男坊の真英が入院。私自身もまだ38度台の熱。山田さんへ奄美ICTから、はじめてのお給料をお渡しできた。

 7月6日。
 社労士の前田幸俊先生のもとへ、就業規則の作成依頼等で相談に行った。

 7月7日。
 次男坊が退院できた。ご家族の事情があり、一緒に働いてくれた中島さんが退職することになった。育児が一段落する2年後、ふたたび一緒に働けることを信じていたい。

 7月8日。
 商工会議所さんから販促の相談。奄美王国参加企業を2社推薦した。駒澤大学の学生さんたちが島バナナをはじめとした亜熱帯農業の歴史や展望等の調査にご協力した。


 奄美ICT株式会社の詳細は、後日、お話します。

 奄美地域でスピンオフによる起業形態は、ほぼ皆無でしょう。奄美ICTの経営資本は、私が一手に引き受けており、アットマークやっちゃばの子会社・関連会社ではありません。もちろん、これからもお互いに連携して、それぞれが成長していけるように、全力を尽くします。

 「 野菜馬 」 → 「 アットマークやっちゃば 」 → 「 アットマークやっちゃば 並びに 奄美ICT 」のような企業の成長と変遷があることは、奄美における一つの事例となるでしょう。また、そうなるべく、これからも邁進していきます。
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by drmaeda2005 | 2008-07-08 21:53 | 私(前田)のこと