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大島海峡を挟んだヤドリ浜の景色を眺めながら
 4月22日。

 瀬戸内町のヤドリ浜にあるマリンステーション奄美で、「知事と若手経済人の意見交換会」が開かれ、私も参加させて頂いた。参加された若手経済人20名のうち、16名が意見や質問を出し、伊藤雄一郎鹿児島県知事が考えを述べる内容だったが、伊藤知事の頭の回転の速さには、ほんとうに驚いた。

 16名の多岐にわたる内容について、時にユーモアを交えて、知事なりの見解を分かりやすく伝えるというものだったが、知事は戸惑うことなく、堂々とお答えになった。公共事業については厳しい見通しである事を指摘した上で、地域のみなさんで智恵を出して欲しい旨を再三にわたって伝えておられた。

 私自身、陳情というか「あ~して欲しい」「こ~して欲しい」という類は好きではない。記録に残るという意味では要望を述べることも大切だが、限られた時間の中で意見を交換するならば、より建設的な事を話したいと思っている。

 私がお伺いしたのは、奄美地域における起業家育成について。

 知事の見解は、鹿児島県は制度としてさまざまな支援をしているので起業家支援のさまざまな制度を有効活用して欲しいという事と、地域振興という視点からは産業自体を生み出すような起業家が育って欲しいという事をお話いただいた。知事の根底にある想いとして「観光と農業」で島おこしができないだろうかという問いかけもあった。


 起業者の正確な数字は把握しにくいが、ひとつの指標として、最新の「事業所・企業統計調査」によれば、奄美市では年間100件ぐらい新設事業所が開設される。すべてが起業者の事業所という訳ではないが、この数字を前提にすれば、奄美群島振興開発基金の起業・開業関係の融資業務や保証業務が年間20件ぐらいあることを考えると、奄美群島において、奄美群島振興開発基金は起業時の資金調達先として、極めて重大な役割を担っている。

 限られた時間の中で、立ち入った内容にまでは踏み込めないものだ。私は制度が整っている事ではなく、その制度の運用面について、もうすこしお伝えしたかった。この点については、別の機会に、もっと踏み込んで訴えよう。

 意見交換会も終わり、ヤドリ浜を一望しながら、知事と立ち話をできる機会があった。

 伊藤知事がまだ総務省の職員だった頃、このヤドリ浜やホノホシ海岸を訪れたことがあったそうだ。その時の思い出を話してくださった。想いのある方だった。

 奄美大島のすべての首長さん・県議員さんたちも交え、ささやかな懇親会が開かれ、一日を締めくくった。その後、私は古仁屋までバスで送って頂いた。古仁屋では、私の家族が迎えに来てくれた。


 4月22日は僕の誕生日。

 幼い頃、どうしても欲しかった野球のグローブ。小学校2年生のときに、母に買ってもらった事を憶えている。野球は上手ではなかったけれども、近所の友人たちと一生懸命、来る日も来る日も練習したものだ。

 僕の次男坊からのバースデープレゼントは煙の消える灰皿。ヘビースモーカーの僕には有り難いものだ。長男坊からのプレゼントは野球のグローブだった。忘れていた宝物を手にしたような気がした。
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by drmaeda2005 | 2009-04-24 12:00
ピンチは何十回とあった

 4月15日。

 仲の良い若手経営者とベテラン経営者と私の3人で、食事をご一緒した。この日、私は多忙だったこともあり(いわゆる気疲れ)ほとんど会話を出来ずに、聞き役にまわっていた。

 私と仲の良い若手経営者は、規模の拡大よりも、個人としての幸せを求めている。私は一定の規模までの拡大を目指しており、そのために、時に応じて、みずからの役割を果たすことにしている。どちらもまだ経営をスタートさせたばかりのヒヨッコなので、どちらが正しいともいえる段階ではない。

 そんな中、ベテラン経営者が、いろいろと気づきを与えてくれた。とても有り難い。

 いくつもの経験談のなかで、私には響く言葉があった。

 「50年近い事業経営のなかで、ピンチは何十回とあった。」
 「自分が倒れたら、子ども達をはじめとした家族、親、兄弟、親戚。みなが浮かばれない。」

 決して裕福とはいえない家庭環境から、このベテラン経営者は創業社長として事業を興し、小さいながらも、家族や兄弟、親戚を支えてきた自負がある。良いときよりも、苦しいときのほうが長かった。でも、潰すわけにはいかなかった。

 経験こそが説得力を持つもの。

 スタートしたばかりの僕らには、とても有り難い勉強になった。

 愚痴をこぼしている場合ではない。挑戦するかしないかは、自分が決めることだ。たとえ、他人に非難されようとも、精一杯、浮かび上がるために努力しているかぎり、乗り越えられるもの。

 ピンチは何十回となくあった。

 いつの日か、私もこう言える人間になりたいものだ。
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by drmaeda2005 | 2009-04-16 14:48
1年かけて起業するということ

 4月9日。
 1年前に奄美大島にUターンしてきた男性からお電話を頂いた。早いもので、彼の相談にのって、もう1年になる。奥さんと死別された彼は、いま、2人の子ども達を育てながら、奄美大島で暮らしている。

 1年前。
 彼は将来は飲食店で独立することを希望していた。そのとき、僕はUターンして間もない彼の職探しのお手伝いをした。彼は奄美大島で得た仕事を懸命にこなし、そして、この春から独立に向け準備を始めることになった。

 4月10日。
 驚くほど短期間で、彼は起業時の制約を解決できた。本人もビックリしていた。これで思う存分、開業に向けた行動ができるようになった。早ければ、エクリプスの前には、素敵なラーメン専門店をオープンさせていることだろう。

 たとえ規模は小さくても、こうして奄美大島で、みずからの夢に向かって起業を果たしていく姿。これこそが地域振興の本質だと僕は信じている。人に天から与えられた使命があるとすれば、きっと、天命の時期には限りがあるのだろう。時と共に、使命もまた変わるものだろう。しかしながら、始まりは何も変わらないように思う。

 みずからの出発点。生き方を踏まえて、変化する何か。

 意識。

 人としての成長。
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by drmaeda2005 | 2009-04-13 11:51
カタチに出来たこと
 奄美完熟たんかんに明け暮れた2月。4つの報告書作成に追われた3月。4月に入ってからは国への提案書作りで右往左往したものの、Yさんの機転と活躍で、やっと昨日、無事に提案ができた。いろいろな想いはあるものの、カタチに出来たことは素直に嬉しい。

 たくさんの人が、この提案に共感してくださった。思い描いた通りにはならない部分も出たけれども、チャンスを活かすために限られた時間で挑戦できた事がなによりも嬉しい。

 3月末。
 僕らのような小さな会社は支払等で金融機関を行ったり来たり。そんなとき、久しぶりに彼女を見かけた。彼女も僕らとおなじだ。そう思うと、とても嬉しくなった。彼女の笑顔を見ただけで、丸一日、元気が出た。

 4月10日。
 起業家・経営者応援塾のOBからお葉書を頂いた。育児中の彼女もまた、人生にチャレンジしたがっていた。この春から、彼女は得意の語学を活かし、英語教室を始めるとともに、町立の小学校・中学校の英語指導員として活躍し始めているそうだ。

 4月22日。
 僕の誕生日。「伊藤県知事と若手経済人(奄美大島・喜界島地域)との意見交換会」へ参加することになった。日頃、お伝えしていることをお話しするだけだ。


 なにも無いところから始めた。
 もっといえば、マイナスからスタートした。

 眠れない夜。
 真夜中に目を醒ます事も増えた。胃の上の辺りがどんよりと重く、左の腰の後ろもずいぶんと張った感じが続いている。たしかに、起業や会社経営は、楽しいことより、つらいことのほうが多いかもしれない。でも、大きな喜びもある。たぶん子育てと似ているのだろう。

 今日、我が社で今年の進むべき方向を話し合った。やれること・やれないこと。できること・できないこと。1年間の売上予測と売上目標・資金計画。新たに雇用するスタッフのこと。新事業の概念。社内の配置換え。僕の寝床の確保。ガスコンロの必要性。パソコンの導入計画。

 いま、僕たちは、日を追うごとに、一人前の会社になるように成長しているところだ。やっと歩けるようになった子供のように、まだ、まっすぐに歩くことは難しいけれども、努力しているところだ。
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by drmaeda2005 | 2009-04-10 14:52