平成20年3月22日。
息子の誕生日に、僕は郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」の事業報告書を書いていた。翌日には奄美ミュージアム推進会議の関係で徳之島へ出張が決まっていたので、3月22日中に書き上げなければならなかった。
「愛加那~浜昼顔のごとく」は、とくに1月下旬からの追い込み作業で、どんどんとカタチになっていった。土壇場でシーン構成を変更する事も多々あり、何より、不足する映像をどう補うかがポイントだった。
「このままじゃあ、20分の作品しかできない」
そんな泣き言は、もううんざりだった。
シナリオを掘り起こしていくこと。言葉の狭間に埋もれていった想いを蘇らせること。そして、家族・親子のメタファー(暗喩)を随所に盛り込むこと。
予算の制約に対抗するのは、いつも創意工夫だ。
デスペラードの前身となった「エルマリアッチ」は製作費7000ドルにも関わらず、作品の完成度から高く評価されることになった。
私たちが、少なくとも私が、この作品に取り組んだのは歴史上の人物を描けるからではない。私は、この作品の根底にあるテーマに惹かれたのだ。
150年ほど前、この奄美の島々で織りなされた人間模様。
それは、いまでも、この島々の至るところで溢れている。西郷隆盛だから、西郷菊次郎だから、愛加那だから、ではない。150年経ったいまでも、私たち・シマで暮らす人のほとんどが経験する宿命が根底にあり、そこから成長する人々がいると思えてならないのだ。
このテーマこそが、シマッチュ(島人)の心を打ち、時に涙を誘い、時に、たくましく生きる姿に強く励まされるのではないだろうか。
不足する映像を補うエピソードを探していた。
大西郷全集に目を通していた。
そこには、人として成長していく西郷隆盛の赤裸々な言葉があった。苦悩し、自暴自棄になり、そして、家族を想う男がいた。
「子ども達が思い出されてならない。」
死と向かい合った人間が、試練を正面から受け止め、耐えながらも「子ども達が思い出されてならない」と手紙を送る。
西郷隆盛全集には、母への想い溢れる西郷菊次郎の書簡が納められている。
「このお手紙でお母さんの心を慰めたいのです。」
私は涙が止まらなかった。
150年前と、いま。
いったい、人の「想い」とは変わるものだろうか。
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髪は断ち切ることができても、
心は断ち切れまい。
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代表的日本人で紹介されている西郷さんの詩だ。
郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」が、待望のDVDとなりました。島外にお住まいの奄美出身者をはじめ、本作品を視聴したいというご要望に、やっとお応えできます。
「愛加那~浜昼顔のごとく」DVDをご希望の方は、下記のページをご覧ください。
郷土教材映画「愛加那~浜昼顔のごとく」DVD頒布のお知らせ
※DVD初版1000枚のみ、頒布予定です。